「絵を描く」という行為はPC画面上でない限り、たいていは実在する絵具と、それを塗り付ける対象を必要とする。
例えば「水彩絵具」と「紙」というように。
さらにそれが「絵」になるまでには、「紙」に塗った「絵具」が乾いて定着するための「時間」を必要とする。
この「時間」というものが絵を描く人間にとっては厄介であり興味深い。
絵具の水分が乾く乾き方は経験である程度までは把握できるが、それを完全にコントロールすることはできない。
また、水分が乾き絵具の顔料が紙に固着したモノを「絵」と呼ぶのか、それとも水分を含んだ絵具を塗った瞬間から「絵」と呼んで良いのか、
という疑問もある。
一般的には絵具が紙なりキャンバスなりの支持体に固着して、誰もが見られる状態のモノを「絵」と呼んでいるのだろう。
しかし、誰もが見られる状態になった「絵」の、その生成過程を記録したものはどうしたものか。
そのような疑問が根底にあったりもする。
さらには絵具が固着せずに、誰もが見られる状態にはならなかった「絵」もあるのではないか。
むしろそういう「絵」の方が遥かに多いのではないか。
見たことのない「絵」。
あるいは「絵」の本当の姿。
もしくは「絵」ではなく「え」
例えば奇跡的に風化することなく残ったラスコー洞窟の壁画や、世界中に遺された古代の壁画などを思いつつ、
顔料の溶かれた絵具ではなく、真水を使ってスナックのサイン看板(sign)のロゴを署名(signature)してみた。
それらを写真撮影してコマ送り映像にすることで、真水で描かれた「絵」が自然(nature)によって、
どのように風化(もしくは生成)していくかを収めた。