あ、そうか

NOTE

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Quantic & Alice Russell with the Combo Bárbaro

– I’ll Keep My Light In My Window

日記、というとなんだか重苦しい響きのするものをしたためることがどうも苦手なのはローマ字表記にするとよくわかる。「nikki」。そこはかとなく「nikkei」という固いカチンコチンな響きがダブ処理がかって聞こえてくる。こんなものが経済の最末端にいるような私(私だってw正直どういう文体で書けば良いのかいまだに困っている)に書けるはずもない。

 

そんなわけであるからして、ここはいっそ、日記a.k.a.創作ノート、日記a.k.a.ライフログ、日記a.k.a.メモという風に、a.k.a.(as known as)つまり通称や俗称で本来の意味をひたすらズラしつつ、永遠に日記にたどり着くことのない行為でもって埋めて行く他ない。

 

冷たい雨の降る昼下がりに虚空に向かって言葉を投げている次第であるが、ほとんど失語症のリハビリテーション。本気にしないでもらいたいが。

 

現在は雑誌や図鑑の図版を切り抜いたものを50号のパネルに貼付けている作業の詰め。作業の大詰めが近づくと、毎度重苦しい時間が流れる。「このパーツ良いのに置くところがない」「スペースはあるのだがここにハマる程良いパーツがない」などと手詰まり状態が続く。

全体としてはもはやそんなところを埋めることでどれほど印象が変わるのだと思われそうなものだけど、やっている本人にはそこがスカスカにしか見えなかったり、これを貼りたいんだけどなあという思いが気持ち悪いのでどうにかしないといけない。

画面を丹念に見てやろうとすると眼を蹂躙されるような密度にしたい。

貼られているパーツ同士がそれぞれに形や色や意味などの何らかの関連を持ってつながっていて、それらを解像度を高めて見ようとするととんでもなく眼に負荷がかかるような具体性を帯びたものであり、解像度を低めてぼんやり見れば紙くずを密集させた様な抽象画として見える、そんな絵になれば良い。

画面に集められた紙の集積が織りなす絵は、寝ている時に見る夢みたいなものであり、醒めている時に見る夢みたいなものでもあるんじゃないかと思える。

もしくは、見える秩序と見えない秩序から成る、都市のようにも思える。


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