切れ端フリーダム

ART NOTE

 

DJ SHADOW & CUT CHEMIST @BRAINFREEZE

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日々なにかしらの印刷物などを切ったり貼ったりしているわけだけど、そうすると「切れ端」が大量に発生する。

カッターなどで「何か」を「切り抜く」と、切り抜かれなかった部分が「切れ端」というか「切り残し」になる。

「切り抜く」行為は「何か」をめがけて「何か」の境界線をカッターでなぞるという、実に意識的な行為で、そこには「上手く切り抜けたか否か」という判断が生じる。

しかし「切り残し」には「何か」を「上手く切り抜く」意識の境界のまさに外側に生じていた無意識がそのまま形になってそこに現れている気がする。

僕はそこにいわゆるフリーハンドで切り抜いたり線を引いたりするような「自由」とはまた次元の違う「自由」を感じられてとても好きだ。

手癖によるフリーハンド・フリーダムではなく、職人的な切り抜き作業の結果生まれた「お釣り」のような、ペイバック・フリーダム?のようなものを感じるのだ。

どうしてそう思えるのかなど考えてもわからないし、そういうことをしてもあまり意味がないように思うのだが、どんなに良いと思った図や画を切り抜いても、その後に残された何気ない「切れ端」を見た時の美しさの方が感動してしまう打率ははるかに高いのだ。

そこには常に「自己表現」という小さな器の外にある、どでかい宇宙だとか理不尽だとか不可解なものだとか運命だとかが様々な形を成して、捨てられるか否かの瀬戸際に余裕綽々で佇んでいる気がする。

 

『WORKS』に「Composition」を追加しました。

 

 


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